本と西洋の住宅の違い

現代社会の日本において、現在の住まいは非常に多彩な色を持っていると思うのは、筆者だけではないだろう。
もちろん、西洋から取り入れた洋風の家なんて邪推でしかないと、考えている人も中にはいるだろうが、何も否定したいわけではない。面白い、と言った方が正しいだろうか。
そう、世界にはいろいろな不動産があり、住宅があり、社会生活をしている。
今の人たちが住んでいる住宅のほとんどが、純和風ではなく洋風を取り入れた和洋折衷の住宅が基本となっている。外観からは判断できないところもあるが、中には外観からすでに西洋の文化を醸しだしている住宅に住んでいる人もいる。もちろん日本に住んでいる欧米人ならそうするべきだろうが、日本人でもそういう家に住みたいとは限らない。
むしろ住宅とは、国にそれぞれある特徴を鑑みて作られているのが一般的だ。気候や地形を完全に無視した住宅建設はない、とは言い切れないかもしれないが、ひとまずはこの点に関しては否定をしておく。
日本人なら純和風の家に住みたいと、実は考えている人は多いのではないのだろうか。木造で建てられた住宅に愛着を感じるのは、日本人固有の感情ではないだろうか。
どれを好むかは人によるかもしれないが、詳しく語るつもりはないが、ひとまずここで区切りをつける。
ではここから、日本と西洋の住宅の違いについて見ていこう。

    日本住宅の場合

    日本古来の住居といえば『竪穴式住居』『高床式住居』、この二つが日本に生まれた人なら学校の授業で必ず習う言葉だ。
    日本は高温・高湿のため、基本的には暑さと湿度に対抗するための家造りを試みられていた。日本で最も適している住宅というのは木造を利用したものだと専門家は良く述べている。

    理由としては、日本人が古来から森と向かい合って生きてきたと言うことが深く関係している。日本の住居建築の歴史背景には、人間と自然が常に向かい合っている里山での生活がその代表的な例だ。決して切り離すことなく、森を自分達の生活の一部として考えて、集落と山、家と庭の間に明確な境界線を設けてこなかった。それもすべて、気候に関連して、開け放たれたつくりをすることによって自分たちがより住みやすく、また自然と関係するための生活をするための方法として取られてきた。
    西洋では自然と人間は全くの別存在だと位置づけて切り離して考えていた。この点においては、西洋とは一線を画した建築に対しての価値観である。

    そんな日本の住宅だが、木の特性を生かした造りをしているのも味わいある住宅を生み出している。自然をねじ伏せることはしないで、自然に委ねて、自然の力を人間が引き出す形で共同作業することによって、古代の日本人達は生きていた。
    木が水分を放出しては吸収する、絶えず行なっている作業を決して殺さないように、その性質によって行なわれている膨張と収縮の機能を生かしつつ、日本の建築産業は成り立っていた。また、水分を含んだとき、木がどのように湾曲するかを見抜いて、力学構造に取り入れていたというが、そんな学問じみたことを昔の人は考えていなかったのは明白、つまりは全て勘で造っていたのでは、という仮説に繋がる。

    それを考えると、現代の日本人のように、湿度の高い梅雨や、高温に苛まれる夏場も今とは比べ物にならないくらい快適に生活していたのではないだろうか。もちろん今と昔では気候が全く違っていることをひっくるめて考えても、生活便利品などなかったこの時に比べたら、とても賢い生活をしていたのではと感心する。
    日本人の大工にはとある名言がある、『木材は呼吸をしているとか、木の声を聞く』といった表現をしている。大工職人というのは、木と触れ合うことでこうした特徴を既に理解していたのだろう。それも、現代社会ではないときにだ。そう考えると、日本の建築技術というものに対しても宇宙的で、非常に興味深くなる。

    縄文時代のアニミズムから受け継がれている、森が文明の一部であるという考え方の源流に辿っていけば着くことに気づく。全てのものには命が宿っている、科学的な根拠ではなく、ただ本能に近い信仰でそれを分かっていたのだ。結果として、昔の人々は自分たちが行きぬくためには、自然界と共存しながら生きていかなくてはならないと、既に理解していたことになる。
    食料だけでなく、自然から与えられる恩恵が人間が生活していく中で与えられていく中で、古代日本人はすでに把握して、逆らわず、かといって上位に立とうともしない、あくまで対等の存在として向かい合っていたのだ。
    そうなると、現代の日本住宅は完全にそんな昔の感情を忘れているのではないだろうか。人が生活していく中で、自然は必須。食料も自然があるからこそ生成できて、森があるから人は生きていくことに事欠かない材料を生み出すことが出来る。
    現代においては、車や電車など、歩いてはいけない距離を難なく目的地に迎えるような技術が誕生し、研究を進められていくたびに進化していく科学の力は偉大という言葉に見合うだけの働きをしているのも確かだ。

    ただ、科学の力に依存していることは、やがて今まで対等にあった自然界を攻撃していることになる。近年でこそ、エコ対策などという事も行なわれていたが、日本の高度経済成長期ともなれば、木を伐採し、大気汚染をするように工場から排気ガスを排出し、化学物質にまみれた汚染水を水路に捨てて、水生生物を危険に貶める、そんなことを繰り返していた。
    昔の日本人からすれば、こんな私達の姿を見て嘆いているだろう。自分達は築き上げてきた文化が、根こそぎ切り落とされるように、新しいものへとシフトしていくのを、どんな思いで見ているだろうか。
    住宅に関しても、日本人は新しいものを好んで使っている。現代でも、新しい商品が出ればすぐに買い換えて、まだ古いとはいえないものも簡単に捨ててしまう、そんな人も中にはいるだろう。
    住宅に関しても、古い家になんて住みたくない、全く新しい家に住むことが、自分にとって大きな価値をもたらす、そんな曲がった考えを持っていても、私には否定することは出来ない、それがその人個人の考え方だ。無理やり直させて、共感させようなどとは思わない。
    新しい木造住宅を生み出すということは、それだけ新たな木材を用意するために木を切り落とさなければならないということに繋がる。正しい行いとはいえない、だがそれについて力強く否定することが出来る人間はどれだけいるだろうか。難しい問題ではある、でも忘れてはならないこともある。それが1つの答えに繋がるのではないだろうか。

    西洋住宅の場合

    対比としてあげるのにふさわしいのが、やはり西洋の住居だろう。現代に至っては特に顕著は住宅に関する価値観があるのは、意外に周知の事実と言うくらい知られているのではないだろうか。簡潔にいえば、住む住宅が新築か中古か、というところだろう。言葉が悪いと感じてしまったなら、中古ではなく『赴きある家』、と考えてくれればいい。
    西洋の人たちは基本的に新築の家に住もうとは考えないのが一般的で、古くて、歴史を感じさせる家に住むことこそに意義がある、そんな考え方なのだ。私個人の意見からすれば、古くても別に構わないが、さすがに古すぎる家に住むのは抵抗がある。それに自分で家を持つということになるのであれば、やはり新品がいいと思うあたり、自分も現代的な日本人なんだなぁと感じさせる。
    赴きある家といっても、さすがに西洋の人々も以前住んでいた人の気配を感じさせたまま、そこで生活することはない。新しく住むところになったら、まずは自分なりに住みやすい、または自分が好きな内装にする、といった具合にアレンジして新たな生活をしていくのだ。外装はそのままで、中を変えるやり方については、少し興味がある人も要るのではないだろうか。
    家の見た目がいい、でも中が少し問題がある、ということを感じる人は中を変える事によって自分の家として確立して、誕生というより、新生、といった方が近いかもしれない。

    日本の住居との違いとしても、まずは外装から異なっている。煉瓦や石などの、土を使った造りをしているので、見た目からして日本の住居とは全然異なっている。
    西洋、イギリスについて少し見て行くと、先に述べた素材での住居が町に並んでいるのも、実際に行ったことがない人でも、テレビの画像などを思い出してくれれば、なんとなく見当くらいはつくのではないだろうか。煉瓦や石で作られた家は、耐久性という面で比べれば木造住宅とは比べ物にならない、長くその原形を保つことが出来る。そのため、木造で100年の建築物でも、イギリス人から見たその年月も、住居の維持率という点で考えれば、まだまだ新しいものだと認識するのだという。
    イギリスに限って説明していくことになるが、古い家の中でも、19世紀半ばのヴィクトリア朝時代、大英帝国時代の立派な建物に住みたがるそうだ。確かに考えただけで、そんな家に住めたらいいなぁと思うのは私個人としても共感できる。だがこうした住宅は年月に対しての思い入れが強いため、外装はともかく、内装も当時のままにしているということがある。さすがにそのままでは、住みにくいということもあるので、先ほど書いたとおり、内装を自分なりにアレンジする手段を用いるのだ。しかし趣は殺さないようにしてだ、それを生かしつつも現代技術を取り入れる内装に仕立てていく。不便といわれてしまう点が出てきてしまうが、イギリス人からすればそれもまた普通のことなのだ。

    日本で言うならば、囲炉裏なんかいい例だろう。囲炉裏、私も生で見たというのは学校の社会化見学といった、催し物の中でしか見たことがない。一般家庭に囲炉裏があるなんて、ないだろう。あったとしても、現代風にアレンジした機械仕掛けの囲炉裏もどきだ。田舎ではまだ囲炉裏を備えている家屋はまだまだあるかもしれないが、都心近辺の家の中に囲炉裏があって、毎日そこで家族団欒、毎日語り合っているなんて光景、正直言えば想像するのも難しい。そう考えると、イギリス人の価値観には驚かされるが、本来はそうするべきなのではないだろかとも思うのは、偽りや建前とかではない。ただ、純粋にそう思っただけだ。

    しかし、イギリスの場合は内装をするときに注意しなければならない。歴史的価値のある建物には、なんとランク付けをしており、国が保存指定をするのだ。この指定を受けてしまうと簡単に建物を変更することも出来ず、内装に関しても窓1つ動かすだけで、役所にその旨を伝えて許可を得なければならないというのだ。
    そういった家に住むことは中々ないかもしれないが、住むことになった場合に関しては細心の注意を払わなければならないようだ。
    もちろん、イギリスにも木造住宅というものは田舎にはある。民家にほとんどが木造だったが、日本のような計算された技術を用いたものではなく、言葉を悪くして言えばお粗末な造り出会ったことは否定できない。間取りという点においても、農家の家庭では広間と台所だけという、最低限の生活スペースしかなかった。
    これは農村部に限ってのことではなく、都心部においても木造住宅は当時のイギリスには建築されていた。

    そんな住居だったが、ロンドンにおいて1666年に発生した大火災の影響で、住宅に関する価値観が変わる契機を向かえたのだ。農村部とは違って、人口も、建物も、密集している地域になっていたため、火災が発生した場合には火が燃え広がって、街中を火の海に変えてしまうのもたやすかったからだ。また、そんな中で流行った黒死病の伝染もあって、住宅に関する考え方が大きく変わることになったので皮肉なものである。
    1667年に『再建法』というのが公布され、ロンドンの再建計画が実行されることになり、この時から木造から煉瓦・石といった火災に強い住宅へと変わっていったのである。それから道路も石による舗装や歩道の整備も行なわれ、窓ガラスの採用、暖炉を壁面に取り付けるなどの、現代のイギリスに良くある住宅へと変わっていくことになった。

    イギリスの主な住宅の種類

    イギリスの住宅といっても、一言でまとめられるほど大まかな枠組みではない。そもそも日本人が考えている住宅と、イギリスとでは全く異なっている。
    まず日本においての一戸建て住宅に相当する、イギリスのハウスには3つのタイプが存在している。1つは『デタッチド・ハウス』という、日本で最も良くある一戸建て住宅がこれに当たる。2つ目に、『セミ・デタッチド・ハウス』という、同じ造りをした家がくっついたような形で建築された住宅である。3つ目は『テラス・ハウス』という、3戸以上が連続して建築されている住宅のことだ。1つ目に関しては特に付け足すことはないが、2つ目と3つ目に関しては見たこともある人がいるのではないだろうか。私の子供の頃の友達が3つ目のテラス・ハウスに住んでいたことがある。遊びに行くときは実はよく間違えそうになったものだ。同じ色をしているため、子供の時は見分けが全くつかなかったので、よその家のインターホンを押してしまいそうになったことが良くあった。個人的には、住むとしても紛らわしいので、あまり住みたいとは思わない。
    さて、マンションやアパートについても話していくとすると、この言葉自体向こうの人は使っていない。イギリスではこうした複合住宅を『フラット』と呼んでおり、前述のハウスには含まないとしている。
    ではハウスとフラットの違いは何なのだろうか、それは庭にある。ハウスが全ての住居が地面に接した庭を持っているのに対して、フラットは、まぁ考えるまでもないが、地面に接した庭を持っていることはほとんどない、ということになる。
    さて、日本でもおなじみのデタッチド・ハウスに関しての説明は省くとして、2つ目・3つ目の住居に関して補足説明を加えていこう。

    セミ・デタッチド・ハウス
    イギリスにおいてはテラス・ハウスと同様に代表的な住宅のタイプとなっている。違いといえば同じ造りの家が2棟ならび、2階建てとなっている。都会向けに作られた住宅というよりは、郊外向けの住宅のタイプとしてみた方が分かりやすいかもしれない。
    テラス・ハウス
    3戸以上の家が連なって並んでいるイギリスの代表的な家の1つだが、主に19世紀に労働者階級の人々専用の住宅だったのが起源となっている。ただ間口というの物が非常に狭く設計されているため、過密に、そしてその中で大量建築されていたため、労働者階級の人々の生活環境自体は劣悪なものだった。確かに大量の労働者はそこに住むということを考えれば、今とは違って、建物内が狭く設計されていたとしてもおかしくはない。やはりというか、消費的なものとして、労働者が扱われていたことを示す意味では悪い象徴とも言えるだろう。

    1950年代、この頃からテラス・ハウスを取り壊して高層マンションタイプの住宅を建てようという動きが活発になったが、地面に接した住宅で暮らしていた人々にとっては、高層階での暮らしは精神的に不安を感じさせるものだった。そんなこともあり、高層マンション自体に対しての評判自体もあまり良くない印象を持つようになり、こうした流れもあって多くの人々が古い住宅を壊すのではなく、改築といったリフォームをして、自分たちが住みやすい環境にしていこうという考えを持つようになったといわれている。

    イギリス人の内装を変えるという考えは、こうしたことから繋がっている人も多いだろうと考えられる。
    私はテラス・ハウスを見たことがあるので想像はつくが、少し前では実は日本においてはあまりメジャーなものではなかったようだ。
    確かに日本ではマンションやアパートといった複合居住住宅が多く立ち並んでいるが、テラス・ハウス自体はあまり立ち並んでいなかったという。
    なぜなのだろうということを調べていくと、『長屋』という言葉に行き当たった。言われてみると、3戸以上の連なった家というのは、日本では長屋を連想しなくもない。どうやら日本人は長屋に対してはあまりいいイメージはないようで、そうしたこともあり、中々目にする機会がなかったと考えられている。

    ところがだ、テラス・ハウスとは比較にはならないだろうと個人的には思う。まぁさっき私が述べた、どの家か分からなくなる、といった子供じみた理由もありかもしれないが、一番の利点としては、それぞれの家に必ず『庭』があるというのは何ともいいことではないか。

    次に『風通しがいい』ということ、何ともすばらしい点ではないだろうか、家の中を風が吹き抜けるなんて最高の設計ではないか、と個人的には思う。さらに『メゾネット』で、『適度なコミュニティー感がある』という点でも、マンションやアパートと比べたら断然いいではないかと思う。
    近年では、こうした利点を重視したテラス・ハウスが造られるようになっている。

    デザイナーズの中古住宅
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